高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-430703-1
品切れのようですので、少し引用。太字引用者。いまこそ読まれなければならない著書です。重版希望。

原子力産業においては事故がおこるたびに、事故隠しを行う閉鎖的な体質であるとか、公開性のなさ、あるいは非透明さということが盛んに言われてきました。そしてその理由として、安全文化の欠落とか、さらにはモラルハザードなどということも叫ばれました。そのように言われる背景には、本来であればこれらの産業が当然、国民に対して開かれていて、情報が公開され、安全を旨とするような文化を持っているはずだというぜんていがあるのでしょう。しかし、そもそも安全文化というようなものが原子力の前提にあったのか、まずそういうことを疑ってみなくてはなりません。(p.14)

そもそも安全第一というようなことは軽々しくは言えません。原子力は産業ですから、利潤の追求が第一です。しかし、他の産業とはまったく違った側面を持っています。それは核を扱う(p.19/p.20)という点です。ほんの一ミリグラムの核反応でも臨界に達すれば、JCOの惨劇を産むような潜在的な危険性を持っているわけですから、他の産業とは違った側面を持ちます。

原子力の組織とは何なのか、組織を構成する個人とはいったいどうあらねばならないのか、そこから考えていきたいのです。個人の行動や、個人と組織の関係、また個人と組織が恒常的にしかも自然にとれる行動様式の形態が、実際に原子力産業ではどうなっているのか。それがどのように形成されてきていて、どういう長所と欠陥を持っていて、こうした現状が生まれているのか、というようなことの詳しい点検なしに、軽々しく安全文化などと言ってほしくない。(p.22)

先述の飛岡氏はなかなか立派な人で、原子力反対側と推進側がちゃんと議論をする必要があると常々言っておられます。しかし彼によると、その議論をするときに反対側の議論は弱い。なぜ弱いかというと、反対側にそれなりに能力と志のある人がいたとしても、圧倒的に情報が少ないから、非常に稚拙な議論しかできないのだということを、私などに厳しく語っておられました。そこで私は、それだったらきちんと情報を出してほしいと言い、彼も情報のギャップがあることを認めていて、最大限努力すると言ってくれました。(p.24)

ところが、だいぶたってから彼から返事があり、申しわけないけれども、高木さんの言われていることは非公開になっているので、残念ながら出せない、商業機密で出せないのだ、ということでした。その後も幾度か彼は、いつでも何でも言ってくれと言うので、私もいろいろ言いましたけれども、結局何度言っても出ないものは出ない。政府が非公開にし(p.24/p.25)ているものは出ない。政府が非公開にしている情報を彼から出すということはあり得ないし、出ればそれはまたそれで政府側の人間として彼は困った立場になるのでしょう。

私が若いころ、日本原子力事業という会社に入って痛感した現場の状況というのは、議論なし、批判なし、思想なし、だったと言えるでしょう。(p.25)

戦後の「財閥解体」によっていったん日本の財閥が解体されてから、原子(p.25/p.26)力を中心に再編成されてきたのが一九五〇年代の半ばでした。五五年に原子力基本法が成立し、五六、七年から日本の原子力研究がだんだん始まりだして、原子力産業グループが三井(東芝)、三菱、日立、富士、住友というような形で形成されてきます。大きなものは三井、三菱、日立です。

たとえば、原子炉事故というと、炉心が冷却に失敗して過熱して熔け崩れるメルトダウン炉心溶融)をだれしも考えます。しかし、そういうことについて、会社の中で公式に議論した経験は、少なくとも私は一度もありません。そのこと自体、恐ろしい話ですけれども、ある種のタブーになっていたのでしょう、そういう意味ではまったく議論なしです。(p.34)

日本の原子力導入の歴史は、一九五四年に突如として、いわば国会議員の青年将校みたいな中曽根康弘氏と財界人の正力松太郎氏とが一体となって、国会の閉会間際の土壇場の三月二日に補正予算という形で原子力予算を通したことにあります。それはほとんどの人にとって寝耳に水であり、議論もないままに補正予算等の賛成がなされ国会を通ってしまったという経緯があるようです。(p.36)