成年後見制度利用促進法案の拙速な成立に反対します

成年後見制度利用促進法案(以下、「促進法案」)は、24日、衆議院自民党公明党民主党などの賛成で可決されました。今月にも、参議院を通過するものと言われています。

私は、この「促進法案」の拙速な成立に反対します。以下、その理由を述べます。
第一に、成年後見制度が、ある一定の条件下で、法的な能力を持たないことを前提としています。ところが、日本も批准している障害者権利条約12条2項において、「障害者が生活のあらゆる側面において他の者との平等を基礎として法的能力を享有することを認め」、かつ3項において「その法的能力の行使に当たって必要とする支援を利用する機会を提供するための適当な措置をとる」としています。必要なのは、後見人ではなく、本人の意思決定を支援することであると、権利条約は言っているのです。こうした権利条約に違反するような制度を促進しようとすることに、問題を感じます。

第二に、代理人の決定いかんによっては、本人の意思が無視される可能性すらあります。たとえば、被後見人である本人と、後見人である代理人との間で利益相反が生じた場合、本人の意思決定は無視される恐れがあります。また、医療を受けたり、生命にかかわる決定においては、本人の生き死にを後見人が決めてしまうことになります。認知症患者や、知的障害者精神障害者が生きたいと思っていても、代理人の同意によって生き死にが決められてしまう恐れがあるのです。

第三に、措置制度から契約制度に移行した福祉制度において、措置制度なら行政の責任が生じていたものが、契約制度と後見人制度とによって、その責任が本人あるいは後見人に生じてしまうようになったのです。「促進法案」は、こうした行政の無責任をこそ促進しているように私には思われます。

最後に、いままで書いてきたことの説得力を全部なくすのを承知で言いますが、非常に重い認知症や知的障害の場合であれば、後見人のような存在が必要なのは、現場を見ていればわかります。ですが、そういった方の場合においても、支援チームを作って、その人が何をしたいか、どう生きたいかということを議論できるような、外に開かれた場が必要かと思います。外部からの批判も受け付けるようなチームが必要であると感じます。まずは、本人の意思決定を支援すること、それができないような方の場合は、開かれた支援チームを作っていくことが必要であり、それは決して「促進法案」を拙速に成立させることではないと、私は考えます。

こちらもご覧いただければ幸いです。
「支援における代理表象の倫理」

2016.3.26 野崎泰伸