生まれてすぐに補償されるべきいのちとは何か――産科医療補償制度の問題点

 2009年1月1日に始まった産科医療補償制度に関して、その概要と見落とされがちな問題点について触れておきたいと思います。
 産科医療補償制度は、「分娩に関連して発症した重度脳性麻痺児に対する補償の機能と脳性麻痺の原因分析・再発防止の機能とを併せ持つ制度として創設されました。分娩機関が本制度に未加入だったことにより、本来、補償されるべき脳性麻痺児が補償を受けることができないという事態は防ぐべきです」(産科医療補償制度ホームページより)。つまり、この制度の目的は、「分娩に関連して発症した脳性麻痺児およびその家族の経済的負担を速やかに補償し」、「脳性麻痺発症の原因分析を行い、将来の脳性麻痺の予防に資する情報を提供し」、「紛争の防止・早期解決および産科医療の質の向上を図」ることにあります(同ホームページ)。
 たとえば、このようなことです。産まれてきた赤ちゃんが、妊婦のお腹から出ようとするとき、首に臍帯(「へその緒」のことです)が巻きつき、脳に酸素がまわらない状況が考えられます。その結果、脳性小児マヒという疾患からくる障害をもってしまうのです。そして、これを「医療ミス」として、妊婦やカップルが医療者を訴えることが考えられるのです。産科医療補償制度は、分娩する機関が加入することで、脳性マヒの子どもが産まれた際、「看護・介護のために、一時金600万円と分割金2,400万円、総額3,000万円が補償金として支払われます」(同ホームページ)。これは、医療訴訟を減らし、その意味で医療者を保護する制度だともいえます。
 確かに、障害をもたずに産まれてこようとする赤ちゃんが、分娩時の医療的なミスにより障害をもってしまうなら、それは医療事故でしょう。それに対する補償を求めるのはおかしいことではありません。けれども、なぜ、医療事故に対する補償と、「看護・介護のため」の補償金とが結びつけられるのでしょうか。同じホームページには、「お産の現場では、赤ちゃんが健康で、元気に生まれてくるために、医師や助産師などがたいへんな努力をしていますが、それでも予期せぬできごとが起こってしまうことがあります」とあります。障害をもって産まれてきた赤ちゃんは、「健康で、元気」ではないのでしょうか。また、「重度脳性麻痺となった赤ちゃんとそのご家族」への補償という文言もあります。本来、補償は「医療ミス」に関してなされるべきであるのに、なぜそのことが、障害をもった子どもと家族への補償という発想につながるのでしょうか。
 ここで見え隠れするのは、やはり障害をもたずに産まれてくるのが「正常」であり、障害をもって産まれてしまったいのちは「異常」なものであるという考え方です。こうした考え方が、「正常」なものに「異常」をきたしてしまったのだから、そのことについて補償しなければならないという発想につながっていくのです。いま一度言いますが、「医療ミス」に対する医療者の責任は追及されてよいし、追及されるべきだと言えるでしょう。しかし、そのことと、障害をもって産まれてきたことに対する補償とは、違うことなのです。産科医療補償制度のホームページの文言をたくさん引用しましたが、その文言を見る限り、重度脳性マヒという障害をもって産まれたいのちは、本来産まれるべきではなかったが、産まれてしまったものはしかたがないから補償してやろう、という発想が見え隠れするのです。障害をもって産まれて、介護や看護が必要なら、福祉政策によって必要な人材的、あるいは金銭的援助がなされるべきだというのが正論であるはずです。この制度が言う「補償」という発想は、障害をもった子どもが産まれたことを何か人間として「失敗作」が産まれてきたという感をどうしても受けてしまうのです。

産科医療補償制度のホームページ http://www.sanka-hp.jcqhc.or.jp/