公正としての正義と脱構築としての正義
正義とは何か。この問いにとりあえず、「人が人として扱われている状態」だと答えることにしよう。すると、矢継ぎ早に次のような疑問がわく。ここでいう「人」や「人として」が意味するものは何か、と。「人」ではなく「動物」あるいは「生物」ではダメなのか。あるいは、「人として」扱われるというのは、いったいどういうことなのか。
結局、正義の問題というのは、境界の問題に大きくかかわる。自由や平等というとき、「誰/何」にとっての自由か、「誰/何」と「誰/何」との平等か、ということが問われるからだ*1。
J.ロールズのいう「公正としての正義」、あるいはロールズ産業(ロールズ批判を含めて)の果実であるリベラリズム、コミュニタリアニズム、リバタリアニズムなどは、そのほとんどが「ある集団における正義」というときに、集団を固定化する。実際ロールズは、障害者や動物の権利の問題を「難しい」として棚に上げる。
A Theory of Justice: Revised Edition (Belknap)
- 作者: John Rawls
- 出版社/メーカー: Belknap Press: An Imprint of Harvard University Press
- 発売日: 1999/09/30
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 9人 クリック: 66回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
たとえば私は、ひとりでなんとか歩けるが、傾いて歩いたり、緊張が入るので、顔が歪んだりする。それだけでも身体的にしんどいのだが、歩いていると子ども扱いされたり、馬鹿にされたりする。私は大学の講師をしていたりするが、キャンパス内で学生にそれとなくからかわれたりもする。そのときの屈辱感というのは、たまらない。しかも、いつそのような目に遭うのかもわからないし、これでも小心者なので、けっこう怯えながら街中を歩いていたりする。こんな人と、「普通に」サラリーマンやってたりする人とを、誰が交換可能だというのだ。私は、その意味においてけっして「人として」扱われているわけではないだろう。逆に、「人でなし」として生かされているからこそ、「人として」扱ってもらっているような逆説がある。つまり、私を正義の埒外に置くことによって、この社会はリベラル的な正義、すなわち「メンバー内の公正としての正義」を保っていられるのだ。このことは、横塚晃一によってすでに1970年代に指摘されている。
- 作者: 横塚晃一,立岩真也
- 出版社/メーカー: 生活書院
- 発売日: 2007/09/01
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 106回
- この商品を含むブログ (30件) を見る
- 作者: ジョルジョアガンベン,Giorgio Agamben,高桑和巳
- 出版社/メーカー: 以文社
- 発売日: 2003/10
- メディア: 単行本
- クリック: 29回
- この商品を含むブログ (52件) を見る
- 作者: 小林美佳
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2008/04/22
- メディア: 単行本
- 購入: 25人 クリック: 1,765回
- この商品を含むブログ (55件) を見る
確かに、現実には法秩序は大事だし、法を変えて新たな仕組みを作ることというのも、外見上はリベラリズム的正義に基づくものだと言わざるを得ない。しかし、「いま、ここ」において絶対的に捨ておかれている人たちにとって、そうした大人しい路線とは別のところで、「なぜ、そのような大人しい路線を私たちは受け入れなければいけないのか」と言いたい面もあることは事実だ。持続可能な福祉社会という「きれいごと」に対し、「現在の差別的な社会など、持続してもらわなくともよい」と言いたい面もある、そういうことなのである。
「いま、ここ」で「大切な何かを根こそぎ奪われている者」は、もちろん、障害者や性犯罪被害者だけではない。不登校・ひきこもり、ニート、在日韓国・朝鮮人、女性、部落出身者、性同一性障害、過重労働、……ことばとして思いつくだけでも、たくさんある。「徹底的に奪われし生」から思考する正義というものは、きっと動的なものなのだ。私はJ.デリダのいう「脱構築としての正義」というのは、きっとこのような「特異者」の視点から考える正義なのだと直観している。
- 作者: ジャックデリダ,Jacques Derrida,堅田研一
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 1999/12
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (51件) を見る
*1:そもそも何が自由で、何が平等なのかという問いは、ここでは置いときますが。