「We Are the World」を歌うのは誰か

知っているひとは知っていますが、私はR&B、ヒップホップが大好きです。
今回、ハイチの震災救援のために、クインシー・ジョーンズライオネル・リッチーが呼びかけて、オリジナルから25年目となる今年、「We Are the World」がリメイクされました。マイケル・ジャクソンも「歌って」います。現代的なプロダクションで、私好みとなっています。プロデュースは、レディ・ガガ、ショーン・キングストンらを手掛けたレッド・ワンです。ラップのパートもブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムがペンをとり、よいできに仕上がっていると思います。最新のビルボード・シングルチャートで初登場2位です。

私は、こうしたアーティストの取り組みを否定はしません。偽善だと言いたい人は、言ってもよいと思いますが、「偽善だと言っているその人」は、どのような救援活動をしたのでしょうか。もちろん、救援活動をしていないからといって、彼らを偽善呼ばわりしてはいけない、とも思いません。ただ、偽善であったとしても、「現地にお金が渡ること」という一点のみにおいては、こうしたアーティストの活動は意義があると思います。
ただし、ここには構造的に読み取るべき問題こそがあります。世界的な貧富の差がなければ、そもそもチャリティ活動をする必要などありません。チャリティ活動が、不可避に「与える者/受け取る者」の権力構造を作ってしまうなら、そうした権力構造をなくすためにも、はじめから世界大の分配機構を作ってしまえばよいだけです。また、ハイチにそもそも民主主義が根づいていれば、これほど大きな「惨事」にはならなかったのではとも思います。ハイチという国(だけではないですが)を捨ておいてきた「私たち」先進諸国に住む者の責任は、重大だと思います。
もちろん、分配機構だけでも権力構造はなくならないでしょうし、社会福祉には不可避に社会防衛的な権力構造を生起させる側面があることは認めざるを得ないでしょう。これをどう考えるかは、巨大な問題だと思います。しかし、社会福祉を否定する形で社会防衛的な権力構造をなくそうとするのは、私には違うと思われます。
We Are the World」を歌ったり、記憶したり、思い出したりするのは常に「与える側」であることを、「与える側」としての私たちはしっかりと肝に銘じておくべきだと思います。そして、同様に、ガザのこと、アフガニスタンのこと…が思い出されるべきなのです。