抜き書き

反障害原論―障害問題のパラダイム転換のために

反障害原論―障害問題のパラダイム転換のために

(略)学を動かしているエネルギーというのはどこにあるのでしょうか? それぞれに学の立場があるのですが、そこに差別の問題がはっきりあるとき、差別に対する怒りとその怒りへの共鳴ということが学を動かすエネルギーではないかと思うのです。
 ところが、どうも学というものの体裁というようなこともあって、怒りをルサンチマンとして排除する動きもでてきます(以下略)。(p.19)

水俣の「怨」や民族差別の「恨」のような意味での)ルサンチマンのない学は、差別にかかわる学として成立しえるでしょうか?(p.19)

当事者は直接怒りを抱き、そして自らのトラウマみたいなことと直接リンクして考えます。非「障害者」の学者とどうもずれていくのです。そして学者化する中で、怒りを抑制したところで学をする「障害者」の学者も同じような構図に陥っていきます。(pp.19-20)