報告書『医療機器と一緒に――街で暮らすために』完成しました

権藤眞由美・野崎泰伸 20120331 『医療機器と一緒に――街で暮らすために』,生存学研究センター報告18

http://www.arsvi.com/b2010/1203gm.htm
完成しました。東日本大震災と、原発事故による障害者の避難については、ほとんど報道されません。計画停電輪番停電)下で電気の必要な在宅患者がどのような暮らしを余儀なくされたのか、ほとんど報道されません。ぜひとも、この報告書をお読みになって、その様子を知ってください。
また、冒頭には、かわいいイラストで図解してある、「もしも停電になったらどうすればよいか」という介助マニュアルがついています。これだけでも役立つと思います。
以下、私が書いた「まえがき」です。

 私は、17年前の阪神淡路大震災において、震度7の激震地区であった神戸市東灘区で被災した。そしてその後、障害当事者発の復活・救援活動に参加した。ここで得た教訓というものは、障害者が震災において障害ゆえの過剰な不安を感じないためには、日常において障害者が差別されずに生活が営めることであるという、とてもシンプルなものだ。
 2011年3月11日、私は自宅でパソコンに向かっていた。ふと、緊急ニュースが流れてきた。「東北の近辺で激烈な地震」。私は、阪神淡路の経験から、「これはものすごいことになってしまう」と直感した。
 この地震をより一層深刻なものにさせたのが、津波であり、そして、東京電力福島第一原子力発電所における爆発事故である。この「三重の災禍」が、東北地方の障害者をも容赦なく襲った。そして事態は、私が想像した「ものすごいこと」をはるかに超える様態へと変容してしまった。
 まずは、被災した地域が「東北」であったこと、単に被害が広域にわたった、というだけでは済まされない。東北という地域は、明治以降の日本の西洋化=近代化において、犠牲を強いられてきた(山内[2011])。よく「東北の人たちは辛抱強い気質である」と言われる。一面ではそうかもしれない。ただ、辛抱や我慢や犠牲を、東北に強いてきたのはほかならぬ日本の「中央」であったことを忘れてはならない。
 そして、原発事故が彼の地の復興を大きく遅らせていることは否めない。全原発の即時廃炉、クリーンなエネルギーへの転換は、早急に求められるし、また正しい道でもある。そのうえで、本報告書で扱われる、電気が多く必要な人たちのことは、そうした主張にどれだけ配慮されているだろうか。電気が使えない「不便」な生活を楽しめるのは、実は電気を多く必要としなくとも生きられる人の特権であることが、なかなか気づかれない。節電は自然に対する配慮である、という一面を押し出しすぎたとき、電気がなければ生存することがままならぬ人たちにとっては警戒すべき言説になる可能性がある。この報告書で主に登場するALS患者以外にも、弱視者や人工透析患者など、電気を多く使わなければ生活が営めない人たちがいる。そのような人たちとともに生きる、クリーンなエネルギー社会を、私たちは目指すべきではないのか。
 この報告書で、まずはとにかく知ってほしい。被災地の、原発事故下の、そして計画停電を経験し生き延びる障害者や患者の「生存の技法」を。障害者や患者たちが日常生活を営むことが可能な社会こそが、震災に強い街であるという、阪神淡路大震災と同じ教訓を、もう一度掲げて筆をおく。

参考文献:山内 明美 2011 『こども東北学』,イースト・プレス